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城崎温泉ロープウェイの始まり

2021-03-14

太田垣士郎と城崎温泉    

明治27年(1894年)城崎町の町医者の長男として生まれた。京都帝大経済学部を卒業後、日本信託銀行を経て阪急電鉄に入社。ここで創業者小林一三の影響を受け、経営者としての基礎を形作る。阪急電鉄の社長を5年間務め、昭和26年、請われて関西電力の初代社長に就任。

戦後の電力不足の解消に奔走。「現代のピラミッド」と称された黒部第四ダムの建設を決断。昭和30年のことである。資本金100億円の関西電力が総工費400億を下らない工事を行うのである。当時の電力事情は、電力供給をしない日が設定されていたのです。それは理髪業が今でも毎週月曜日に一斉に休む。これはその当時の電力供給故の形が今でも残っているといわれています。

昭和34年11月黒四の竣工を待たずに社長を退任。その後、人脈の広さ、公正無私な調整力から関西財界のよろず相談窓口のような役割を果たしていく。恩返しの始まりです。そんな中で、故郷城崎のことを思い、一つのアイデアが浮かんだ、それは黒四の完成後現場には様々な資材が残り、その工事用ロープウェイとその関連部品を無駄にしてはならない。そんな話を城崎に帰って話したのである。

ところがそう簡単には話は進まない。当初の再利用は運搬経費を考えると採算に合わないのである。そんな中で、城崎ではすっかりやる気になっていたのだ。士郎の発想を生かそうとロープウェイ運営のための城崎観光株式会社が設立されることとなった。関西電力のグループ会社、関電産業、現在の関電不動産開発が資本金の49%を阪急電鉄が6%地元城崎からは300人を超える株主が出資したのである。

これが昭和38年5月の開業した城崎温泉ロープウェイの出発点であります。そして開業間もなく、ロープウェイが止まる事故が起こった。彼はすぐさま城崎に直行、「何ほーけとるんだ」と城崎弁丸出しで怒ったそうです。彼は終生、城崎の人だったと聞いております。昭和39年3月16日没、城崎にお墓がありますが、今でも命日には、関西電力の関係者がお墓参りに訪れています。

さて、ことしロープウェイの営業を始めて57年目を迎えますが、5年前に、この施設の耐震診断を行いました。コンクリートの健康診断です。コンクリート建物の耐震基準などが見直されてきた中で、築50年を超えるロープウェイの施設です。メディアでもコンクリートの劣化による橋や公共施設などの現状が報道されていました。不安を感じながら待ったその診断結果は、この施設のコンクリートは非常に健康で。中性化している深さは一番進んだところで表面からたったの6ミリ。ひび割れなどもなく最高の状態ですとの報告が届きました。ある程度の覚悟をしていましたがびっくりしました。

ここにはあの黒四ダムの建設に使われたコンクリート技術がこの城崎の地で生きているのです。また、屋根の形状が緩やかなアールを描いて建設当時のデザインが残されていることも含めて平成29年2017年に国の登録有形文化財に指定されました。

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